私の自己紹介から始めます。
今回お招き頂いた要因でもあると思いますが、私はJCの中でも「異色」の役員であると思います。
私は、高校を卒業して3年で会社をクビになりました。色々あって21歳で会社を興しました。会社を興す「きっかけ」ですが、当初は独立しようという気はありませんでした。高校を出て3年間、真面目に働いていましたが、不景気だとか理由があって会社を辞めることになりました。その時、当時の上司に「恩返しをしろ」と言われました。意味が分からなかったので尋ねました。例えば相撲の世界で、曙が同郷の小錦に勝つ事を恩返しと言うのだそうです。「上田君、どうせやるなら同じ業種で勝負し、恩返しをしろ!」うまく乗せられたのかも知れませんが、私は21歳の時に同業種で会社を興しました。
実は、辞めるに当たって、同僚の若い子たちが2〜3人付いて着てくれましたので、4人くらいで会社を始めました。始めた当時は、仕事もコネもお金もゼロでした。私は「掃除屋」なんですが、95年の震災まで全く仕事がありませんでした。それまでは、建設現場の片付け等を主にやっていました。と言ってもコンクリートや道具を運んだりする手間仕事をしていました。毎朝6時半頃には建設現場に向かい、現場監督に「今日4人着てますが、何かで使ってもらえませんか」と言って現場を点々とするような、そんな生活をしていました。建設現場を回るような生活をしていたので、本当にお金が無くて、給料も払えなくて、実は仕事が終わった後、デニーズで皿洗いしていました。それで給料を払っていました。住む所もなくて、5畳くらいの事務所の流しにシャワーを付けて、ソファーに寝泊りして、乞食同然の生活をしていました。
そんな中で、自分の仕事をしていると感じ始めたのは、95年の阪神淡路大震災の頃でした。震災の第一報が入ったのは夜でした。神戸にあるダイエーのスーパーからで、「震災による水の被害が大きいので、直ぐに着てくれる業者を探している」という電話でした。どうやって探したかというと、タウンページで全国のビルメンテナンス会社に電話したそうです。「今から直ぐに来て欲しい。何人でもいい。食べる物は一日一食保障する。寝る所は6畳一間を用意する。布団も用意する。水はあるけどお湯は無いので銭湯に行ってくれ。お金は何時幾ら払えるか分からない。とにかく直ぐに来て欲しい。」と言われました。それまで、清掃会社と言いながら、清掃の仕事なんて来たことなくて、建設現場の職人のようになっていましたので、私は「直ぐに行きます!」と答えて、その日の内に神戸に向かっていました。
飛んでいった神戸で、実はJCとの出会いがありました。神戸の震災時には半年間滞在しましたが、毎日のように銭湯に行っていました。銭湯も少ないので、そこに行くと1時間程並んで待たなければなりませんでした。半年間毎日のように通ったんですが、並んだ列の前後に、これまた毎日のようにJCのジャンバーを着た人たちがいるんです。半年も毎日のように通うと、待っている間に話しをするようになります。その時に「上田君。君の地元にもJCはあるから、戻ったらJCの門を叩いてみるといいよ」と言われました。その時には、「JCはボランティアの団体なんだな」というイメージしかありませんでした。 翌年、私は地元に戻りましたが、私の友人が「JCに誘われていて、どうしても断りたいので一緒に行ってくれ」と相談を受けました。神戸の事もあり、私は一緒に行ったんですが、私はその時、「入会しよう」と思いました。何故かと言うと、当時私は皿洗いをして生活しているような人間だったんですね。独立した時は21歳で元気でしたが、段々一緒に働いていた連中が、「社長、僕はボーナス要らないけれど、結婚もしたし、社会保険に入れてくれ」とか、「給料を、日給ではなく安定した月給にしてもらえないか」とか言って来る訳です。僕自身も、「ここで変わらなかったら自分は終わりだな」と感じていました。そこでJCを紹介されて、他の団体を知らなかったのもありますが、私は「この団体だ。JCしかないな」と思いました。何故かと言うと、JCには、小さい頃に連れて行ってもらった駄菓子屋の旦那さんや、地元の蒲鉾屋さんの若大将がいました。自分はこのような人たちと付き合っていかない限り、自分は絶対変えられないなと思って入会を決めました。
私は小田原JCに入会したのですが、97年当時、半年間の新入研修がありました。半年間、例会も委員会も欠かさず出席できた人は入会できるというものでした。私もその半年間のトレーニングを終えまして、今は無くなりましたが新入会員の儀式を迎えました。儀式というのは、ステージに新入会員が並んで、アカデミーの委員長から「君は、来年のブロックの○○委員会に出向しなさい。」や「理事長目指しなさい!」等の辞令と励ましの声が掛けられる場なんですが、自分の番になった時、「上田!お前は卒業まで何年ある?」と問われ「13年あります!」と答えると「上田!お前は卒業目指せ!」と言われました。「自分は来年何しましょう?どこか出向しましょうか?」と返すと「上田君。君は来年もう一度、このアカデミーの研修を受けなさい。」と言われました。で実際にもう一回受けました。小田原JC後にも先にもアカデミー研修を2回受けたのは私だけです。お蔭様でしっかりベーシックを学ばせて頂きました。
僕も卒業なので話しますが、最近OBの方に言われました。僕の入会は当時の理事会に波紋を呼んだそうです。「上田みたいなヤツをJCに入れるんじゃない」と。地元ではあまり評判の良いメンバーではなかったようです。そんな私が、これまでJC活動を続けてこれたのは、私自身がJCと向き合う事によって出来たのだと思います。
自己紹介が長くなりましたが、本題に入ります。今日は、入会3年未満のアカデミーの方々のモチベーションをアップするための講演という事で、ベーシックな話しもします。
JCというのは1949年に東京JCが産声を上げ、日本JCが1951年に立ち上がりました。ご存知の通り、1945年に日本は先の戦争に敗れてしまいました。それまで、アジアの国々で植民地になった事の無い国は二カ国しかありません。日本とタイです。それ以外は全部ヨーロッパの植民地になっていました。それから、GHQによって、日本はある意味植民地化されました。サンフランシスコ条約が1952年なので、それまでの7年間が植民地だったと言えます。その間に、日本の若者、チャーターメンバーと呼ばれる牛尾先輩や中曽根先輩が「この国を何とかせにゃいかん!」と、立ち上げたのが1951年「日本青年会議所」。日本がまだ統治下にあった中で立ち上がった団体であります。当時、JCのバッジの中には国連のマークが入っています。国連のマークが使える団体ということは誇りに思ってよいと思います。世界には100を越える国にJCがあります。日本には708のLOMがあります。全国で3万6千人。平均年齢は35.8歳。LOMの平均メンバー数は42名。世界では18万人のメンバーがいて4,900の青年会議所があります。世界ではケネディやフランスのシラク元大統領、クリントン等がJCのOBです。
「JCは何をする団体だ?」と問われると「明るい豊かな社会を目指す」なんて手帳に書かれていることが先ず挙げられますが、私は単順に「JCは誰かのためにやること」だと思います。私は「拡大」が好きなので、よく色々な所に行かせてもらいますが、「JCって何ですか?」と問われます。消防団なら「火を消す」と説明し易いのですが、JCは分かり難い。そんな時に私は「JCは誰かのためにやる。それが市民の為なのか、地域の為なのか、何れにしても延いては自分のためになる。それがJCという団体だ」と私は答えるようにしています。
ベーシックはこのくらいにして、モチベーションアップに入りたいと思いますが、これは難しい。人の心ほど折れやすいものはない。
一番困難を感じているのは委員会運営ではないでしょうか。人が集まらない。10年ほど前のJCは「あれをやれ」「これをやれ」のパワーゲームです。僕はこんな中で育ったんです。でも、情報が発達した現在では、パワーゲームでは難しい。
先ず一つ、僕は「夢を語る」事が必要だと思います。まずは委員長が自分の夢を語らないといけない。語れない委員長の委員会は運営が難しい。人は力ずくでは絶対に動かない。
二つ目は「言う」と「伝える」は違うということ。例えば毎月の例会で委員長が動員を掛けます。つまり電話をして「今度の例会出席できますよね」という確認をしていくのですが、集まらない。「動員掛けたのか?」と聞くと、もちろん委員長は「掛けました!来るって言ってたんですが」と答える。「言う」と「伝える」は違う。人が動いて初めて「伝える」になる。大抵「言う」だけなんですね。僕はこれが大切だと思う。10年ほど前、洪水があった時、河の真ん中に島があって、そこでバーベキューをしていた人たちが3人流されて死んでしまったことがありました。放流されて流されてしまったんですね。その時に、先輩から「上田。この事故どう思う?」と聞かれました。僕は「自己責任ですよね。放流されることは分かっていて、そんな所にいたんだから」と答えました。すると先輩に怒られました。「それは違う。本当に人を動かしたかったら、首根っこ捕まえて、紐付けてでも動かして助けなきゃ行けなかった。人の命に関わるような時には、力ずくでも人を動かせ」と教えられました。
それから、自分が理事長をさせて頂いた時、当時120名ほどのメンバーがいましたが、全員に会いに行って話しをさせてもらいました。必ず30分ほど話しをして、「僕はこういうことがしたい。こんな事業をしたい。こんなLOMにしたい。」と語りました。僕が理事長だった時の例会の出席率は、平均して95%以上あり、100%例会も何度もありました。そんな風に「語る」「伝える」ことが大切で、これが今少しJCから少なくなっているのかなと思います。
LOMというのはチームです。強いチームを作るということが大事です。日本JCには顧問がいて、3年に一回は甲子園に行くという高浜商業出身の元甲子園球児です。「何でそんなに強いのか。監督がいいのか?」と聞くと、監督ももちろん良いけど、監督だけじゃないと言う。弱いチームはエラーすると「ドンマイ」と言うけれど、自分のチームはエラーした時に「何やってるんだ!」と言えるチームだと言うんです。なるほどと思いました。JCも最近「ドンマイ」多いよね。「ドンマイ」ばっかりじゃ駄目なんですね。
余談ですが「ニトリ」という会社をご存知ですか?ニトリの研修をテレビで見たんですが、これは強い組織だと感じました。絶対伸びると。業績が良いから社員のモチベーションが高いのではない。モチベーションの高い社員がどれほどいるかで会社の業績は決まる。この会社は大きくなると確信しました。個人的な意見ですが、逆に気になるには「ユニクロ」です。7千億円の売り上げを、5年以内に5兆円にすると言っている。ここは研修制度があまり明確じゃない。半年くらいで店長にどんどん上がっている。地盤がしっかりしていないのに走っている感じです。僕が見てきた潰れる会社のパターンです。
これはLOMでも一緒です。例えば、今日の会場もそうですが、入って来る時に一礼できるメンバーとそうでないメンバーがいる。こういう会場に入る時、一礼するように僕はアカデミーの時に散々叩き込まれました。そういうところから一つ一つ積み重ねるのがJCなんです。例えば身近な事なら理事メンバーが自分の飲み物を片付けるかということ。他人に片付けてもらっているようなLOMなら良くならない。基本的なところが出来ていなければ、LOMは良くならないし、拡大も出来ない。バッチを外してもJCマンと言われるような人を作っていかなければならない。昔は、街の飲み屋街で、スーツを着た人5人が肩組んで歩いていれば「JCマンだ」と言われるような時代がありました。そういう時代でもありました。しかし今は、背中を見て、立派だと思い、「さすがJCだ」とバッチを付けていなくても言われるようにならないと。そんなメンバーをどんどん増やしていかないと、拡大にしてもJCのOBが、OBの息子さんを紹介してくれないなんて事が起こりえる。
僕のLOMのメンバーは、いつも同じ所に飲みに行くんです。それはそれで良いとして、毎度毎度同じ店に行って、お店の人から「ご苦労さん」の一言が貰えないとだめだろう。「今日も街のためにありがとう」と言って貰えるようなLOMを作っていかないとダメだと思う。そんな風に言って貰えるJCは全国にたくさんある。でも僕のLOMはまだまだだと思う。そういう風土が出来てきたら、良いトレーニングになるしメンバーも辞めない。勉強にならないと思うから辞めていくんだよね。先日、タバコのポイ捨てをしたら退会になるというLOMがありました。ポイ捨てするようなメンバーは必要ないから退会して下さいというLOMです。そのくらい厳しくやっていかないと、他の青年団体との差別化という意味でも厳しいと思います。
ここで拡大の話しに入りたいと思いますが、「拡大は難しい」と感じていらっしゃいますか?私はよく拡大の専門家と思われて拡大の講演を頼まれるんですが、専門家でも何でもないです。私が拡大の委員長をやる前の年が、熊本の有川先輩が室長で長宗我部さんという女性の方がいて100人拡大をされました。翌年私が拡大委員長を仰せつかったんですが、このお二人を師匠と思って熊本まで話を聞きに来ました。「どうしたらいいですか?」と聞きますと、長宗我部さんに言われました。「拡大はあなた根性よ!根性だけよ!」と。「はい。そうですか。」と聞いて飛行機で帰ったんですけど。昔はそんな時代だったんです。「拡大」は。
私の時には42名しか拡大できなかったけれども、この事を通じて色々な人の所に、色々な話を聞きに行きました。そこで今思うことは、「拡大はLOM一丸でやること」。昔は、拡大は拡大委員会がやるという風だったかもしれないけれど、拡大委員会を存続させることも難しくなった現在は、LOM全員で拡大をやること。昨年、僕が50ヶ所ほど回って見てきたブロックやLOMの拡大の手法を紹介したいと思います。昨年、30%拡大を達成したLOMは102程あります。その中の8〜9割が同じ事をやっています。
先ず1つ目は、理事長及びキャビネット(三役)と呼ばれている人たちが、間違いなく拡大しているということです。上がやらなきゃ下がやるわけない。会社も同じですが99%は会社のトップです。上の三角形で決まります。ここが動かなければ意味がない。「来年は理事長だ!!」という人がいたら絶対1名以上拡大して下さい。私は入会してから、毎年必ず1名以上拡大してます。これを私は自分のルールとしてやっている。卒業してからもやっていく。拡大は続けるのが大事。僕は自分で決めたから拡大を続けていく。
2つ目は「リスト」。この「拡大リスト」を持っていない青年会議所が多すぎる。統計で、リストの4分の1は必ず入会するんです。100名のリストがあれば25名は入会するんです。リストの積み上げがどれだけ大事か分かりますよね。九州の中でも鹿児島JCさんは、リストの管理が徹底している。鹿児島JCのメンバーは、メンバー数が100名を切りそうになった時、総会で約束をしたそうです。「メンバー1人が毎年1人紹介しましょう」という運動をしていこうと決めたそうです。先日、鹿児島JCのリストを拝見しましたが、380名ほどのリストでした。候補者の情報が細かく書かれた、しっかりしたリストでした。鹿児島JCさんは毎年50名以上入会されています。どんなに多くても80名以上は入れないそうです。研修が出来ないから。日本JCのホームページに、拡大ツールとして鹿児島JCさんの簡易版のリストがありますので、是非活用してください。
3つ目「拡大会議」。名前は違えど、昨年30%以上拡大したLOMのほとんどが拡大についての打ち合わせを実施してます。理事会の後に拡大の話しをしているLOMもあれば、食事をしながら拡大の話しをするLOMのように、とにかく頻繁に拡大の話しをLOM内でしてます。
この3つを実践しているLOMは30%拡大をしています。拡大については、毎年すごい委員長が出てきて、ボーンと「50名、100名達成しました」という時代じゃない。10名でもいい20名でもいい。自分のLOMの大きさ規模に合わせて、毎年堅実に同じ数が入ってくる。よく理事長から「今年は10名卒業するから最低でも10名は入れなきゃならない」という話を聞くけれど、卒業する人数なんて関係ない。「こんな事業をしたい。だから自分のLOMには30名必要だ!」ということ。人数が減るから、その人数を入れるという話しではない。事業があって、その運動があって、だからこの人数必要なんだという話しです。
一昨年、僕が拡大に行った時の話をします。手強かった話しです。先輩から「拡大に行ってくれ」連絡があって、僕の近所の会社の社長の息子さんだったんですが、直ぐに向かいました。その会社は10億くらいの売り上げの会社です。僕の地元では10億の会社って大きいんです。その息子さんは東京で政治家の秘書をやっていたんですが、社長であるお父さんが脳梗塞で倒れてしまったので家を継ぐために帰ってきたと。僕は拡大パンフレットと新入会員の年間スケジュールを持って会いに行きました。JCがどんな団体か、話しをさせて頂きましたが、息子さんは「分かってはいるが、戻ってきたばかりで難しい」という話をされました。そこで私は2つ話をさせてもらいました。
1つは、我々の地元も疲弊してます。そこを盛り上げるのを一緒にやってくれないかという話しです。サラリーマンであれば、景気が悪ければ景気の良い土地に行く事も可能です。例えば、天草のサラリーマンなら、熊本の景気が良ければ熊本に、東京の求人が良ければ東京に、会社を辞めて引越しが出来ます。でも僕らは、地元で飯を食っているから、地元から逃げられない。基本的には自分の街から出る事ができない。地域と共に生きている。だからお前の力が必要なんだっていう話をした。それでも息子さんは「分かるんですけど」と首を縦に振らない。
そこでもう1つ話しをしました。実は、そこの会社の専務を、僕は飲み屋でよく見かけて知ってたんですが、これがどうしようもない。このままでは会社食われちゃう。そう思ってたんで言いました。「今のお前に、この10億の木を守れるのか?お前の背骨をJCで作ってやるからJCに入って来い!」
僕も、26歳で入会しましたが、当時、例会に行く時はいつも作業着で、軽トラで行ってました。車の中でスーツに着替えて、懇親会まで顔出して、また作業着に着替えて仕事に戻ってました。入会時には従業員5名です。今では800人以上います。今は会社4つくらいあるので、合わせると1400人くらいいます。こうなったのはJCの御蔭です。全部JCの御蔭なんです。全てJCなんです。僕はJC以外やっていないから。僕はJCを見よう見真似でやってきたら、会社がこういう風になったんです。そんな話しをしました。彼も近所だから僕の会社を当然知っている。「JCは人を作るから。今のお前には10億の木は守れない。何故なら、今のお前には10億の木を支える人としての根っこが無い。今のままでは、絶対に支えきれない。これを守る為には、JCに入れ。JCに1年間いて、この小田原JCには、自分を育ててくれる土壌が無いと感じたなら、辞めていい。その時は、俺が一年分全部金は払う。」そう話すと「上田さんがそこまで言ってくれるのなら入ります。実は自分も不安だった」と話してくれました。
私が拡大42名達成した年に、今年全国大会をやる小田原JCの理事長、日本の褒賞委員長、副理事長3人、専務、監事2人、この全員を入れたんです。全員私の同級生。全員創業社長。全員入る時同じ事を言っていた。「俺なんかにJC絶対に出来ない」って。親方一人俺一人、家柄だって良くない。そんな奴らが、10数年経って、今では全員小田原を代表する企業。それだけ、育つ土壌がある。うちのJCには。うちのLOMには。青年会議所という団体にはね。JCは、そこが魅力なんだよね。
そいつらは間違いなく空を使っていない。僕もありますよ「今日は絶対例会行きたくない」とか。でも、自分で入ると決めたから。皆さん京都会議行った事ありますか?私もありますよ。お金を借りて。お金が無かったから借りて行きました。私98年から京都会議、世界会議、ASPAC、サマコン、全国大会全部行ってます。1回も休んだことない。行けば必ずあるんです。自分の中に入ってくるもの。政治家は、どんなに悪い事しても、地元に結果を残してくれればいい。でもJCは行動責任だから。結果だけじゃない。行動が伴わないとだめ。
今日、専務として来させてもらって、どうしても皆に伝えておかなければならないことは、JCが今本当に社会に求められている団体だということ。これは誇りに思ってもらいたい。例えば「公開討論会」皆さんのLOMでもやってもらってますよね。僕の地元の箱根なんて5000人くらいの所だから、以前は選挙カーがたくさん出回ってましたが、今回は各党1台だけですよ。一気に減った。これ何故だか分かる?JCだから。公開討論会を始めたのはJCですよ。全国で行われた公開討論会の90〜95%はJCがやってきた。今では当たり前になったマニフェスト選挙。以前は聞いたことありましたか?これも全部JCです。事業仕分けもそう。2006年にJCでやっていましたよ。ガーンと国に提出しました。JCは10年後、国を変えたと間違いなく言われる団体だと確信している。
私は総務委員会なんかをやっていて、JC会館に詰める役が多かったのだけど、そんな中で、各委員長が大臣なんかにアポイントを取るメールや手紙を作っていたんだけど全然相手にしてもらえなかった。今は逆。大臣が会頭に会いたい、予定を教えてくれと言ってくる。それくらい今、JCは社会に求められている。社会に認められたんだよね。60年掛けて。この団体は!10年後にはJCしかない。そう言われる時代になると私は思います。
最後に、アカデミーの方にお話ししたいと思います。私も入会した当初は、「まちづくり」とか、そんなのは政治家や行政の仕事だと思っていました。でも、入会して十数年JCやってくると、本当に分かってくるのは、JCしか地域は守れないということ。政治家や行政が悪いと言うわけではない。昔は、政治家も行政も市民を見ていた。今は全く見ていないと言うわけではなく、見てない人が多い。政治家は票のことを考えるようになってきた。行政は自分の保身のことを考えるようになってきた。そんな人たちが増えてきた。それで国がおかしくなってきた。だからJCしか守れないと思う。
皆さん。このJCバッチ。付けたくても付けれない人たくさんいるんですよ。このバッチは拾ったものでも先輩に押し付けられたものでもないでしょ?これは地域を守る誇りですよ。そこをもう一度皆さんには考えて頂きたいと思います。
僕も、これまでJC活動やってきて色々な人に言われた。「このままJCやってると会社潰すぞ」って。悔しい思いをしながらも「会社もJCも絶対両方うまくやってやる」と一生懸命やってきた。やれるかやれないかは自分自身。やれば絶対成功する。僕の会社は、売り上げなんて全く下がらない。ずっと上がってる。今、20年続く会社は1,000社に1社って言われてる。そんな中では生き残る事が重要。大きくする事ではなく続ける事が大切。JCも一緒。空使わないで続ける事が大切。続けてきたヤツの会社は絶対大きくなる。これは俺の持論。JC真面目にやっていて会社潰れたヤツがいるわけがない。ダイヤモンドがダイヤモンドでしか磨けないように、人は人でしか磨けない。その磨き合う団体が実はJCなんだよ。
先輩が言っていた「JCは明日の未来のために犠牲になる団体」。地域を守れるのは我々だけなんだよ。手弁当でやっている。そんな団体俺達しかいない。地域の最後の砦はJCなんだよ。そこを常に思ってもらいたい。自分でやれるところまで努力して、それでだめならいいじゃん。誰も文句言わないよこの団体は。是非、この団体が最後の砦であると、地域のために自分たちしかいないと、よくよく皆で飲みながら話して欲しいと思います。
ありがとうございました。